われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか –心とホルモンの密接な関係— Part3 試練、トラウマにおけるホルモンと心のお話です。

われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか 
–心とホルモンの密接な関係— Part3

試練、トラウマにおけるホルモンと心のお話です。

試練における心の動きとホルモン

人生は試練の連続である。悲しみや苦しみは突然やってくることが多い。その様な状況において非常に深刻な場合にPTSD(Posttraumatic stress disorder、心的外傷後ストレス障害)を引き起こす。PTSDとは危うく死ぬまたは重症を負うような出来事の後に起こる心に加えられた衝撃的な傷、いわゆるトラウマが元となる様々なストレス障害を引き起こす疾患のことである。一生の間に50-60%の人は外傷的体験にさらされるという。しかし深刻な外傷性ストレスでもPTSDを発症するのは14%で全員が起こすわけではない。

 PTSDと同様様々な試練に対して抑うつ状態もよく見られる。ショックな出来事に遭遇して不眠になったりやる気を失ったりしたことは誰でも経験があるかと思う。動物の行動実験においてうつ状態のモデルがある。これはマウスを休むところのない水槽に入れると、最初は一生懸命泳いでいるが、そのうち何もせず浮かんでいる。これはマウスが無力感に満たされ抑うつ状態になっていると推測されている。実際抗うつ薬はこのような症状を改善するので、薬理効果の確認のための実験としても用いられる。

 うつ病は苦しい病である。しかし、この病気にもちゃんと意味があると考えられている。つまり抗ってもどうしようもない強大な敵や状況に直面したとき、逃げようもないとき、動物は固まる。そしてそのような死んだふりが唯一の生存戦略である場合がある。人の場合にも戦うこともできず、自分にはどうすることもできないストレスを持ったとき、抑うつ状態を引き起こす。ひどくなると、そのときには行動することもしゃべることもできない。しかし多くの場合、抑うつ状態は時間が解決してくれる。そしてそのときには周りの状況も変わっている。自分が制御できない抑うつ状態になったときにそのような、病態に対する理解と客観的観点も意味があるのではないかと思う。私自身も何度も落ち込んでフリーズしたこともあるが、その時は闇の中で全くどうすれば良いのかわからなくても、このような生物学的意味を理解し、いずれ時間が解決すると信じられるだけで、何とかなるものである。

 うつの状態ではストレスのために内因性CRH分泌が亢進しているため、コルチゾールは持続性に分泌されており、ITTやCRH試験に反応しにくくなる。CRH自身にはanxietyを亢進させ、甘いものを食べたくさせる作用がある。私たちはストレスで甘いものが食べたくなるのはCRHなどの作用である。またコルチゾールは、全身の臓器からエネルギーを動員してストレスに対応できるようにするため必須のホルモンである。一方で持続的に分泌されると心身ともに異化亢進状態が続くため、大きな負担がかかる。うつでは肥満、高血圧、糖尿病、心血管死のリスクが増大するし、極端なストレスで消化管出血を起こすこともある。興味深い研究があり、高コルチゾール血症の持続は、寿命のバイオマーカーのテロメアを短縮する。そして、大きなストレスに晒された人は寿命が短くなる。これはまさにコルチゾールやカテコラミンの不適切分泌持続の結果であろう。実際極端な高コルチゾール血症をきたすクッシング症候群の場合、昔治療法がなかった時代の無治療の5年生存率は50%である。もちろん様々な治療法がある現在ではそのようなことは稀だが、しっかり治療しないと予後が悪いことは事実である。

 このような逆境や試練、トラウマに対して私たちはどうすれば良いのだろうか?先ほど大きなストレスに晒された人は寿命が短くなるという研究をご紹介したが、続きがある。同じようなストレスにさらされても、ストレスに立ち向かった人ではその寿命短縮が見られなかったという。実際人生において、逆境や試練、トラウマはないに越したことはないし、避けられるのであれば避ければ良いが、いつか対面しなければいけないことは多い。おそらく今までの人生で一度も逆境、試練、挫折、トラウマがありませんと言える人はいないと思う(あるいはよっぽど〇〇か)。逆境や試練は、ある意味野良犬と一緒で、逃げるほど追いかけてくる。逃げ切れれば良いが、そうでなければ覚悟を決めて向かい合うしかない。私自身も人生経験とともに上記の研究なども知って、基本的には避けられない逆境や試練には覚悟を決めて立ち向かうと決めている。実際そう決めてしまうとまず気が楽になるし、人類がサバンナで狩をしていた時代は、間違うと死んでしまうこともあったと思うが、現代社会で命まで奪われることはない。そして命が奪われなければいつでもやり直しは可能である。このように私なりに学んで、実践しているストレス対処法はまた別稿で紹介できればと思う。

 人の心は傷つきやすい一方、試練を乗り越えていく強さ、しなやかさを持っている。そのような「極度の不利な状況に直面しても、正常な平衡状態を維持することができる能力」をBonannoはレジリエンスと定義した。レジリエンスというのはもともと物理学的用語であり反発力から精神的回復力、立ち直る力という意味で使われている。ナチスドイツによって収容所に監禁され家族を殺されたビクトール・フランクルは著書「夜と霧」の中で、極限状況のストレスにもかかわらず生き延びた人々から「収容された人の生と死を分けるのは、体格や栄養ではない、未来があると信じたものだけが生き延びられた」と書いている。そして人生はどんな状況でも意味があると述べた。

 実際生き延びた人は、人生に何らかの意味を見いだしている人すなわち自分にはやり遂げなければならない仕事がある、あるいは愛する人ともう一度一緒に過ごしたいなどの目的を持っている人であった。フランクルの観察では、興味深いことに希望を持ち続けた人のみが生き延びたのだが、希望にも種類がある。いつか解放されるなどという外部からの他力的な希望は生き延びる力を与えず、自発的な希望のみが力となった。根拠があろうとなかろうと自発的な希望を持っていることがいかに大切かを物語る。そのことは自分自身をそして自分の未来を信じることができるか、すなわち自尊心を持っていることがいかに大切かを物語る。

 今、香港は大変な状況である。先日やむなく廃刊となった香港紙「蘋果日報(アップルデイリー)」の創業者、黎智英(ジミー・ライ)氏の言葉である「私たちが闘いを続けるのは、勝てると考えているからでなく、人間としての誠実さと自尊心を維持すること」はいかに自尊心が大切なことかを物語り、私たちの心を打つ。フランクルは家族を強制収容所で失っているが、そのようなどん底の状態で彼は人が生きることの意味について考え続けた。そこにフランクルの悲しみとともに心の強さ、冷静さ、人としての成長を見ることができ、読む人の心を揺さぶる。

Part 4に続きます。

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